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T-7 日銀の国債買い入れと地域通貨
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T‐7 日銀の国債買い入れと
 地域通貨


(中央銀行・赤字国債直接引き受けの形骸化)
政府紙幣は財政赤字を補填のために発行されるのが一般的であった。発行額は政府の負債にならない。インフレを引き起こすことで、国債の実質価値を下げることもできる。 インフレは、実質的に国の借金を減らす。しかし、政府紙幣は財政ファイナンスを原因として、供給が過剰になる。終戦直後の日本でも300%のインフレ率を記録している。 また、南米やアフリカでおきたハイパーインフレーションは経済に深刻な打撃を与えた。ジンバブエでは、2億3100万%という超ハイパーインフレーションとなった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ インフレーション

このため、現在、先進国では、政府は紙幣を発行しない。紙幣の発行権は中央銀行に集中している。現在の紙幣は中央銀行の発行する銀行券である。 銀行券は金融市場取引において発行される。銀行券は中央銀行の負債である。約束手形のようなものという見方もできる。 しかし、中央銀行が、政府の赤字国債を直接引き受けると、銀行券が大量に発行される。大量発行された銀行券が悪性インフレを引き起こす。 中央銀行の赤字国債の直接引き受けは事実上、政府紙幣と変わりない。しかし、東日本大震災の復興財源の確保に復興国債の日銀引き受け議論が出ている。 日銀は現在でも国債を市中から買い入れている。2010年度の国債の新規発行額、約44兆円の半分を日銀が買い入れたという。しかし、日銀による国債引き受けも禁じ手である。

禁じ手である中央銀行の赤字国債の直接引き受けは増税に代わるものである。結果的には中央銀行の赤字国債の直接引き受けによるインフレは国民に増税以上の負担になることが多い。 しかし、増税は国民の合意が得ることが困難である。増税は経済にも悪影響を及ぼす。インフレは一時的には経済に好影響を与える。 日銀による国債の買い入れは為替を円安に誘導するため輸出を増やす。経済が活性化し、税収が増える。1ドル100円を基準にした国債の買いと売りを日銀が弾力的に行うのが妥当であろう。

また、2011年9月現在で、日本全体の債務残高は約1145兆円ともいわれる。
http://www.kh-web.org/fin/
しかし、官僚にいわせれば、債務といっても、別に外国から借りていない。
国民から借りているお金にすぎないという。
結局、国民から借りた金等、国家権力で踏み倒せるということなのだろう。
終戦の時にも踏み倒している。

国民から借りているといっても、国民が直接、国債を買っているわけではない。
国民は銀行に預金し、銀行が国債を買う。
国民は、間接的に国債を買っていることになる。

けれども、国民も馬鹿ではない。
踏み倒されると思えば対策は考える。
国民は、日本の銀行から預金をおろす。
利息の高い外国の銀行に預金するか、外債を買うようになる。
預金をおろされた邦銀は国債を買えなくなる。
外為法で規制が、かかる可能性はある。
けれども、グロ−バル化が進めば、効果には疑問がある。
国民に直接、国債を売ろうとするのであれば利息が高利になる。
利息が高くなりすぎれば返済ができなくなり、財政は破綻する。

現在、日本人と日本企業が、低利にもかかわらず、日本の銀行に預金しているのは華僑のように国際社会に馴染んでいないためである。
しかし、企業の国際化は、進む。
国際化による産業空洞化は企業の預金を海外に移すだけではない。
関係する人間を海外に移住させることから、その預金も移転させることになる。
年金生活者の海外移住も始まっている。
年金生活者も預金を外国に持ち出す。
また、産業空洞化により、国内の働く場所は減少する。
このため、国内では失業者が増える。
失業者が増えれば、預金は減少する。

グローバル化により国内の銀行預金が減少する前に財政を健全化する必要がある。
国際化は急激に進む。
急がないとまにあわない。
時間はあまりない。

おそらく、国は、赤字国債の日銀買い入れで、インフレにするのではないかと思う。
10年で物価を2倍程度にするのではないだろうか? 
インフレで、国有地等の国の資産も倍になる。
赤字国債の日銀買い入れと倍になった資産を売却することで、借金を減らせる。

しかし、インフレ率を制御することは難しい。
予想以上に上昇し、ハイパーインフレになる危険がある。
ハイパーインフになれば、土地等の資産を持つ金持ちが得をする。
ハイパーインフになっても、給料が上がり難い貧乏人が損をする。
このため、貧富の差が拡大する。


(ハイパーインフレのリスクを減少させる地域通貨)
また、ハイパーインフレは深刻なダメ−ジを経済に与える。ハイパーインフレのリスクを減少させるために、地域通貨の導入も検討すべきである。 現在、地方分権が進行している。地域通貨の導入は、地域社会に“紙幣の大量発行をすることの利益と負担”を選択させることになる。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/3702/local_currency/lc-06.html

地域共同体復活に地域通貨を使う試みは1980年代にカナダのバンクーバー島で始まったLETS(Local Exchange and Trading System)が挙げられる。 LETSが1985年のワシントンで、紹介されてから世界各国に導入されたといわれている。地域通貨は、他に米国のタイムダラー、イサカアワーズ、ヨ−ロッパの交換リング等が有名である。 その目的は地域経済の活性化、コミュニティの再構築、ボランティア活動活性化等、多様である。

また、各地域通貨はそれぞれが特徴を持つ。例えばタイムダラーでは、 地域通貨は国民通貨と交換できず、労働時間に応じて発行される。タイムダラーには、時間を共通のモノサシとみなし、 時間により参加者の行為を公正に評価するという理念がある。 また、紙幣による「集中管理方式」、地域通貨の価値の国民通貨にリンク、地域通貨から国民通貨へ交換、というように、通貨の利便性を高め、 商店や企業で流通することを目的にしている地域通貨もある。 この場合、地域通貨といっても、国民通貨と異なるのは大量発行のリスクと流通の利便が地域に限定されるくらいの違いしかなく、機能は国民通貨とかわらない。


(不正金券、不正増資の弊害)
商品券等の金券も地域通貨になりうる。ところが、この金券が暴力団等の反社会的勢力の資金源になっている。このことにも注意する必要がある。 また、公開株は増資することで、株券を株式市場で販売できる。公開株は思惑で変動する地域通貨という見方もできる。 しかし、外部の人間には企業の実態は解り難い。販売された株価が、実態と異なることも、よくみられる。日本の証券市場は極めて不透明である。 公開株の増資は企業の再建に有効であるが、個人株主の権利を擁護するためにも監視を強化する必要がある。


(日本の地域通貨)
日本でも1990年代後半から地域通貨の実験的導入が始まっている。 しかし、2000年代になっても日本の地域社会では欧米と異なり地域通貨が活発に使われない。欧米の地域社会で誕生した地域通貨が、日本の伝統的な地域社会に馴染まず、受け入れ難いことが理由であろう。 しかし、日本にも地域通貨は存在した。

江戸時代に、地域通貨として、藩札・旗本札・御免銀札・寺社札等が発行されている。このため、江戸時代では、金と銀の交換の他に、藩札の両替も必要だった。 また、米も通貨であり、通貨制度は複雑だった。米が、貨幣的な役割を果たし、金本位制と銀本位制が混在していたため、米を仲立ちとして金と銀の交換レートが、決定された。 このため、世界初の先物取引市場といわれる堂島米会所は、為替市場としても機能していた。

堂島米会所 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/堂島米会所
「堂島米市場跡記念碑堂島米会所とは、享保15年8月13日(1730年9月24日)大坂堂島に開設された米の取引所」
「当時大坂は全国の年貢米が集まるところで、米会所では米の所有権を示す米切手が売買されていた。 ここでは、正米取引と帳合米取引が行われていたが、前者は現物取引、後者は先物取引である。 敷銀という証拠金を積むだけで、差金決済による先物取引が可能であり、現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、世界初の整備された先物取引市場であった」
「享保6、7年頃、幕府は不正取引のかどで延売買を禁じたが止まなかったので、7年(1722年)12月、1000石以内の延売買を許し、9年(1724年)2月、空米相場をも認めた」

旗振り通信 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/旗振り通信
「旗振り通信は江戸時代中期、全国の米価の基準であった大坂の米相場をいち早く他の地域に伝達するため、さらに地方の相場を大坂に伝えるために考案された。
従来米相場の伝達には飛脚(米飛脚)・挙手信号・狼煙などが利用されており、江戸幕府は米飛脚を保護するため旗振り通信禁止の触れ書きを出した」
「昼間は旗、夜間は松明や提灯が用いられた」
「熟練した者によってスムーズに旗振りが行われた場合、1回の旗振りを約1分で行うことができたと考えられ、旗振り場の間隔を3里(12km)とした場合、通信速度は時速720kmということになる。 大阪から和歌山まで十三峠経由で3分、天保山経由で6分、京都まで4分、大津まで5分、神戸まで3分ないし5分または7分、桑名まで10分、三木まで10分、岡山まで15分、広島まで27分で通信できたといわれている」

また、藩札等が天災の救済策として使われているのは興味深い。大震災の被災地、東北地方太平洋沿岸は江戸時代にも大地震、津波、冷害、飢饉の被害にあっている。 仙台藩では、幕府の許可を得て、藩内流通限定とした天明の大飢饉への救済を名目とした仙台通宝が天明4年(1784年)11月より作られた。江戸時代の地方貨としては初めての物である。 また、同時期に紙幣としての藩札も発行された。他の地域でも天災からの復興を理由とした地域通貨の例は多い。

日本最古の紙幣が伊勢国の山田端書のように商品経済の先進地域では、地域通貨の必要がある。江戸時代、幕府の通貨流通量抑制政策のためもあり、手形や藩札類による取引が盛んであった。 経済規模の小さい旗本領でも、領外の藩札等が流入した。そのため、自領の経済が悪化した。自衛策として、独自の紙幣を発行せざるを得ない場合も少なくなかったという。 しかし、手形や藩札類は失敗した場合は財政赤字がさらに悪化した。藩札の兌換を巡る取り付け騒ぎや一揆、打ちこわしも発生した。藩札は藩の取り潰しがあれば紙くずになるリスクもあった。 けれどもリスクは地域に限定された。


(備中国松山藩の山田方谷の改革)
地域通貨成功の例として、備中国松山藩の山田方谷の改革が有名である。松山藩は国内の荒廃などによって表高5万石に対して実収2万石しかなかった。同藩財政は逼迫した。 このため、藩札の価値は大暴落して財政を却って悪化させた。これに対して藩執政に就任した山田方谷は敢えて藩札の廃止と3年間に限って額面価格での引き取りを行う事を表明した。 その結果藩札(金換算8,019両)が回収され、未発行分の(同3,836両)と合わせた合計(同11,855両、当時の藩財政の約1/6相当にあたる)が、方谷の命令によって、集められた藩士・領民の目前で焼却処分された。 その後方谷は「永銭」と呼ばれる額面の新しい藩札を発行して、準備金が不正に流用される事の無い様に厳しい管理下に置いた。 そのため、藩札の信用は回復される一方、その準備金の適切な投資・貸し出しによって裏打ちされた殖産興業は成功を収めて、10万両と言われた藩の借財は数年で完済された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ 山田方谷
司馬遼太郎は、無名に近かった幕末の傑物、越後長岡藩家老・河井継之助を短編小説「英雄児」と長編小説、「峠」で、その名を、世間に広めた。 河井継之助が、師と仰いだのが山田方谷である。長岡藩藩政改革も山田方谷の改革を参考にしたといわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ 河井継之助


(桜井谷陣屋の役人の不正)
安政4年(1857年)、飛地陣屋である桜井谷陣屋の役人の不正が発端となり騒動が発生した。近隣の麻田藩では藩札は農民側の管理に委ねられて適切に運用されていた。 それに倣った改革が領民から要求された。その結果、藩札は大坂の両替商の関与を断たれた。桜井谷陣屋の米奉行が発行した。豊嶋郡の領内有力農民が銀穀方として運用する形態が幕末まで続いた。


(赤穂藩城代家老、大石良雄の藩札・額面6割交換)
元禄赤穂事件の際に、家老の大石良雄がすぐさま藩札を額面の6割交換という高い率の銀正貨で回収し話は有名である。赤穂藩の藩札は、領内の通用を藩札のみに限られていた。 また、赤穂藩は塩の生産と専売により財務的に耐えられた点もある。 赤穂藩は領地が山に囲まれた地形のため、領外との取引を行う商人などを除き、領内での藩札の専一流通が確実に行われていたことは多くの史料によって確認されている。 名目上、藩札の専一流通を規定した藩は数多いが、赤穂藩ほど徹底していた例は稀である。


(姫路藩、綿町・切手会所)
播磨国姫路藩が領地を有していた播磨平野は綿作の好適地であった。木綿の専売で大きな実績を上げていた。姫路藩は文政3年(1820年)、姫路城下の綿町に切手会所を開設した。 翌年3月には木綿の専売を取り仕切る綿町国産会所を開設した。後に切手会所を国産会所に併設した。 国産会所では木綿手形形式の藩札を発行した。藩は木綿手形形式の藩札で木綿を生産者から買い取った。 買い取った木綿を大坂などで売却した後、生産者の持つ藩札を正貨へ兌換した。兌換用の正貨確保が木綿手形に高い信用を与えた。 また、姫路藩では、藩士の慶弔用の贈答品として用いる鯣札や昆布札も発行した。

  上記、事例からわかることは、地域通貨とはいっても、無秩序であれば、財政が破綻するということである。地域通貨の成功例では米(山田端書等)、塩(赤穂藩等)、木綿(姫路藩等)が、通貨・信用の裏付けとなっている。また、失敗例では、富裕な商人が藩札の札元となった時に不当に中間搾取を行った場合である。けれども商人の信用によって藩札が流通した側面もあった。結局、山田方谷の改革にみられるように透明性が重要なのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ 藩札


(伝統社会の地域通貨、結)
また、地域社会で地域通貨を普及させるために伝統社会で行われてきた結(東日本では“手間換え”)が注目されている。
結は地域通貨と形態・目的がよく似ている。新たな結を再構築し地域通貨と連動させる動きが始まっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ 結

結とは、主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度である。一人で行うには多大な費用と期間、そして労力が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っている。 結とは労働力を対等に交換しあって田植え、稲刈りなど農の営みや住居など生活の営みを維持していくために共同作業をおこなうこと、もしくはそのための相互扶助組織のことをいう。 社会基盤の維持にかかわるものは特に自普請ともよび、労力、資材、資金を提供しあう互助活動全体を指す。広義には無尽や消防団などは資金や災害対策の労役に限った結であるといえる。 戦前の隣組も結の一種といえる。なを、日本統治下にあった台湾でも隣組が導入されている。相互扶助が相互信頼に繋がり、台湾の歴史の中で社会的に一番安全な時代であったという。 家に鍵など掛ける事などはなかった。現在の台湾では、このような社会制度は存在せず、鍵を何重にも掛けるようになった。

インドネシアにも日本統治下で隣組が導入された。戦後もインドネシア政府はこれを続けた。スマトラ沖地震による津波の被災やその後の復興時にも、隣組が機能し役立った。
地域コミュニティを再編・再生することが必要である。住民同士が相互扶助する伝統を再生が求められる。担い手の不足が指摘されるようにもなってきたが、「結(ゆい)」の伝統は地域に残っている。 「新たな結」が、地域再生の中心に位置づけられている。


(町内会の役割)
地域住民組織は、町内会と関係がある。民生委員も町内会から推薦されることが多い。様々な形で、町内会とその他の地縁団体との連携がなされている。町内会と他の地縁団体とで役員が乗り入れていることも多い。 町内会と他の地縁団体の活動は重なる。地縁団体には法人会、青色申告会、防犯協会、交通安全協議会、PTA等が連携の主体となる。市町村は、「新たな結」のパートナーとなり支援することが予定されている。 行政の基礎も町内会である。江戸時代までは村落、町内により徴税(名主、庄屋、村役、5人組等による年貢の村請等)、自治・相互扶助が行われてきた。 法的な制度化は明治22年に町内会連合会、町内会、町内会の下部組織・班が作られ実施された。 終戦後、法的な意味での町内会は軍国体制への協力を問題視した占領軍により解散させられたが、行政の末端の民間団体として今も住宅環境、ゴミ問題や国勢調査、高齢者福祉・保健活動を行っている。


(町内会を存続させるコミュニティ税による「新たな結」が、地域社会を守る)

*コミュニティー税*
 
  近年、町内会は会員の減少、役員の高齢化により衰退している。また町内会費を納めない住民が町内会の事業の恩恵を受ける不合理も問題になっている。 町内会費をコミュニティ税として住民税に加算することも考えられる。 しかし、宮崎市のように町内会費を年500円のコミュニティ税として住民税に加算した例もあるが、下記の記事にあるように失敗に終わった。
http://www.komei.or.jp/km/miyazaki-tokumitsu-hideo/2010/12/17/ 地域コミュニティ税廃止案可決/
「 2010年 12月 17日 今朝の宮崎日日新聞の1面に昨日12月議会最終日の市民が注目する記事が出ました。「地コミ税廃止案可決」の文字です。 賛成41:反対13 退席1 賛成多数で導入わずか2年で廃止となりました。 今後は、核家族化や自治会加入率低下など、社会情勢が変化する宮崎市で、戸敷市長が目指す「絆社会」をどう築いていくのか?市民への分かり易い説明や政治的な思惑の間で置き去りにされた、 まちづくりの担い手への支援が求められます。」
宮崎市の事例からも絆社会の再構築、コミュニティ税の難しさがよくわかる。年500円のコミュニティ税であっても、税金として強制的に徴収することに対する反発があったのではないかと推察される。

このため、コミュニティ税と引き換えに、地域通貨(地元特産品購入に使える商品券、又は地元中小小売店で使える商品券等)を発行することも検討してもよいのではないかと思う。 この地域通貨の回収には地元産業振興に割り当てられた予算を活用すればよい。 この地域通貨を 地域ボランティアに対する対価としても使えば、公共事業費も節約できる。地域通貨による「新たな結」の再構築も可能になる。生活必需品の商品券を商店街限定の地域通貨として流通させることで、 個人商店は大規模小売店に対抗できる。地域社会の要となる世話役を確保する商店街を再生させることができる。

  町内会においても地域ボスの問題はある。時として、ボスが地域社会に君臨し、恣意的な意見を強引に押し通す。酷い場合には私利私欲で悪事をたくらむ。 けれども、多くの町内会の世話役は、私財で、人の世話をする善良な人間が多い。地域社会の要である民生委員の推薦・就任も事実上、町内会が行う。 公的機関による監査も取り入れた町内連合会を組織し、透明性を確保するのであれば、問題はないと思う。

江戸時代に旗本が知行地において発行した紙幣である旗本札の例にみられるように、町内会程度の狭い地域でも、地域通貨は存在した。 そして、下記の吉野郡の自治組織で発行した御免銀札は、地域経済を振興させた。山田方谷の改革にみられるように透明性を確保するのであれば、生活必需品を商品券とした地域通貨の流通は地域社会に有益である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ 旗本札
「美濃国では、交代寄合表御礼衆である不破郡岩手(現・岐阜県不破郡垂井町岩手)の竹中氏及び交代寄合衆の美濃衆である石津郡多良(現・岐阜県大垣市上石津町宮)の高木氏が紙幣を発行した。 西美濃地方の両氏が発行した紙幣はいずれも、生活必需品であった木炭を売買する際に用いることによって流通を図るべく炭会所が発行した炭代札と呼ばれるものである。」

近江国の旗本札の特徴としては、銀建て、銭建ての札で、紙幣として使用されることが前提のものでありながら、朽木氏の炭切手、伊庭三枝氏の種切手、中山関氏の豆切手、老蘇根来氏の豆手形、 大森最上氏の茶切手というように、いずれも商品切手(商品券)の名目をとっている点がある。 近江国では、彦根藩、膳所藩、水口藩、大溝藩など、江戸期に発行された同国諸藩の藩札も同様の特徴を有している場合が多い。」

「大和国は日本における商品経済の最先進地域の一つである。 札遣いも、藩札、旗本札のほか、日本最古の紙幣として知られる伊勢国の山田端書に類似した発行形態で、吉野郡の自治組織が幕府の許可を得て発行した御免銀札、大寺院や神社が発行した寺社札など、 多種多様な紙幣が発行された。 また、この地域の経済は、肥料(干鰯や油粕など)の購入や商品作物(木綿、菜種、茶など)の売却のために在郷町が発達し、また主な流通経路である河内国や和泉国との経済的なつながりが強かった。 このため、この地域で発行された藩札、旗本札、寺社札などで、発行元によっては、国を超えてきわめて多様な引請人を持つ場合がある。また、奈良盆地は米どころであり、米手形形式の銀札の発行例が多い。」
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