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T-3 自由都市 TPP 東アジアハンザ同盟
   
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T‐3 自由都市 TPP
 東アジアハンザ同盟

EUは世界平和に貢献したとされ、ノーベル平和賞を授与された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/欧州連合

[第二次世界大戦後の欧州地域の平和安定及び協調路線を図る取り組みに対して、2012年度のノーベル平和賞を授与されることが、2012年10月12日に発表された。]

しかし、EUには懐疑的な見方も多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ 欧州懐疑主義

EUが政治統合すれば、ドイツを中心とした巨大な中央集権国家が誕生する可能性がある。

しかし、EUの政治統合よりもハンザ同盟を復活させた方が、民主的で、効率のよい経済発展ができるような気がする。

巨大な中央集権国家が誕生する可能性は東アジア共同体にもある。

今はまだいいが、将来、中国の国力は日本をはるかに凌駕することになる。

東アジア共同体が実現した場合、日本経済が中国経済に従属することになることは避けられない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ 東アジア共同体

日本や朝鮮が中国の一部になれば、東アジアから戦争の危険は去る。

けれども、ほとんどの日本人は日本が中国を中心とした巨大中央集権国家の一部になるのは嫌だと思う。

中央集権国家は猛獣のようなものである。

猛獣を制御する抑制勢力が求められる。

中世ハンザ同盟をモデルとした、中央集権国家の暴走を抑制する企業・自治体による東アジア都市同盟の結成を望む。


(農業と税を請け負う自由村)

これからの農業は成長産業である。 福島原発の事故により原子力発電の見直しは必至である。バイオエネルギーは環境にやさしい。農業は経済成長の要になる。 しかし、従来の農林水産省の農業政策が農民の自助努力を損ない日本の農業を衰退させた。

今は中央集権国家から地方分権国家への移行期である。律令制が崩れ荘園が成立した時期と重なる。

また、江戸時代の年貢は村で上納を請け負う年貢村請制であった。村が未納者分を弁済する連帯責任を負う。検地の対象は田畑である。他の農民の生産活動は年貢の対象にはならない。 このため、農村における農業技術の改善、商品作物・酒・味噌等の生産、手工業・商業活動といった経済活動の成果に税が課されることはなかった。 新田開発を通じ、江戸時代初期に全国で1800万石だった石高は、江戸時代中期には2500万石、後期には3000万石と倍増に近い勢いで拡大し、 特にそれまで畿内などに比べ開発が遅れていた東北、関東、中国、九州などでは湖沼や干潟が新田開発され農地が大きく増えたという。

地域共同体に農業にかかわる事業と税を請け負わせる自由村が農業を経済成長させる。


(国境を越えた自由都市の提携が経済を活性化させる)

自由村と同様に商業・工業にかかわる事業と税を請け負う自由都市も経済を活性化させる。
中世ヨーロッパでは自由都市は貢納や軍役などから自由であった。自由都市であったハンブルクとブレーメンは、現在のドイツ連邦共和国でも独立した都市州として扱われている。

日本にも博多や堺、今井町といった自由都市が存在した。博多は、室町時代を通じて年行司と呼ばれる12人の豪商の会議によって市政が運営され、日本史上において初めての自由都市であった。 堺と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえに戦国時代には戦国大名の争奪の対象となり、九州・中国地方の諸大名により侵略と破壊を受けるも、豊臣秀吉の手で再び町人の自治都市として復興された。 江戸時代には博多の那珂川対岸に黒田氏が福岡城とその城下町を整備し(福岡)、また黒田藩も博多の町人自治を広く認めたため、城下町・福岡と商いの街・博多とで機能分担する双子都市が成立した。 その後、明治時代に福岡と博多は統合され福岡市となった。

貿易と銃器の生産で潤った堺では、36人の会合衆(えごうしゅう)による自治が行われ、防衛のための武装組織もあった。 しかし、織田政権が成立すると自治は大きく制限されるようになり、織豊政権による直轄地化、さらに大坂城城下への強制移住によって自治都市としての歴史に幕が下ろされた。

また、今井町は浄土真宗の布教拠点として寺内町として成立し、織田信長に武装放棄させられ江戸幕末までの300年間、自治都市として発展することになる。 周囲に環濠を巡らせ、9つの門を設け番屋を設置して町掟を決め自治自衛を徹底した。また17世紀後半、藩札と同じ価値のある独自の紙幣「今井札」を流通し繁栄した。


(自由都市)

「影武者徳川家康」「花と火の帝」「花の慶次」「もののけ姫」といった小説やアニメに多大な影響を与えたことで知られる歴史・民俗学者、網野善彦は、 日本の中世後期には東南アジアと東アジアとの交易が盛んになり、東南アジア各地の港市のネットワークが形成され、琉球、博多、堺などは、その交易ネットワークの拠点として繁栄したと指摘している。 網野学説に因れば、経済は自由な市場取引を望み、領主は自由な市場取引から生じる税収を得ることを望むため、堺、博多、南伊勢の大湊、桑名などの自治都市が生み出されたとしている。

西欧における中世ハンザ同盟の自由都市も同様の原理に因るものであろう。

このような自由都市を作り国際的なネットワークを構築することで、経済は活性化する。

経済成長による税収の増加も期待出来る。


(東アジアハンザ同盟)
中世ヨーロッパ、バルト沿岸では、都市同士が国境を越えて交易ネットワークを形成し、ハンザ同盟を結んだ。 西欧の中世都市においては同業組合を組織した商人ギルド・手工業ギルドが参事会を通じ市政に参加し都市の発展に大きく寄与していた。 ハンザ都市でも、国境を越えて交易を行う大商人が参事会を支配していた。そのため商人間の交易ネットワークであった商人ハンザは経済連合である都市ハンザに発展した。 その勢力は最盛期には加盟都市が200を越えたという。しかし15世紀にはデンマーク、スウエーデン、ノルウエー、イングランド、ネーデルランド等の国家との抗争に敗れ衰退した。 しかし、ハンザ同盟の中心であったドイツのハンブルクとブレーメンは、今も自立性を保つ都市州で「自由ハンザ都市ハンブルク」「自由ハンザ都市ブレーメン」を正式名称としている。

そして、現在、ハンザ同盟はバルト沿岸諸国評議会として復活しようとしている。ヨーロッパではECの役割が大きくなり国家の存在感が薄くなっているといわれる。

東アジアでも企業と企業は国境を越えて提携している。商人ハンザと似ている。将来、都市と都市が連携し、東アジアハンザ同盟に発展する可能性は高い。都市が国境を越えて提携する時代が始まる。


(”TPP”と”環太平洋ハンザ同盟”)

TPPの概要は以下の通りである。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/ 環太平洋戦略的経済連携協定

「TPP、は、アジア太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定 (EPA)である。 原協定は、2005年6月3日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発効した。 2011年現在、アメリカ、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルーが加盟交渉国として、原加盟国との拡大交渉会合に加わっている。 9か国による交渉は、2011年11月12日に大枠合意に至り、2012年内の最終妥結を目指している。」
「カナダは酪農などの市場開放が十分でないとの理由で2010年10月にTPPへの参加を断られた。」 「韓国は参加に前向きな姿勢を見せていたが、その後TPPへの参加が自国に不利に働くとみてアメリカとの二国間交渉に切り替え、米韓FTAで合意、妥結に至っている。 2011年11月16日には、韓国外交通商省が記者会見で、TPPは国益にならない、として正式に不参加の旨を明らかにした。」 「中国は関心を示し情報収集などを行っていたが、その後の判断で参加しないことを明らかにした。」 「ベトナムは、交渉国として、交渉会合に参加しているものの、今後、正規の交渉メンバーとして臨む覚悟があるかどうかについて疑問視する見方もある。」 「タイは参加しておらず、2011年11月10日、ASEAN閣僚会議で、経済統合への道筋について「ASEANが中心となって行うべき」とし、TPPへの警戒感を表明した。」 「インドネシアは「自由化品目の割合が非常に高く、対象になった品目の関税撤廃を一気に進める」としてTPPに不参加の意向を明らかにしている。」
「原協定の目標は、2006年1月1日で加盟国間のすべての関税の903092撤廃し、2015年までに全ての貿易の関税を削減しゼロにすることであり、 産品の貿易、原産地規則、貿易救済措置、衛生植物検疫措置、貿易の技術的障害、サービス貿易、知的財産、政府調達(国や自治体による公共事業や物品・サービスの購入など)、 競争政策を含む、自由貿易協定のすべての主要な項目をカバーする包括的な協定となっている。」「原協定の目的の一つは、「小国同士の戦略的提携によってマーケットにおけるプレゼンスを上げること」である。」

原協定 第3章 第11条 農業輸出補助金
1.加盟国団は、あらゆる形式の農産品輸出補助金を多国間で撤廃するという目的を分かち合い、このような協定を達成しようとする取り組みに協力し、いかなる形式の農産品輸出補助金の再導入も阻止する。
2.本協定のその他の規定に関わらず、本協定の効力発生日の時点で、加盟国団は、他の加盟国向けの農産品のためのあらゆる形式の輸出補助金を撤廃すること、 並びにいかなる形式の当該補助金の再導入も阻止することに合意する。


TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)はハンザ同盟と似ている。
しかし、決定的に違う点がある。

TPPはアジア太平洋地域の国家による経済連携協定であり、政治的に形成された。
ハンザ同盟は自由な経済活動を求める商人により、自然に形成された都市同盟である。

人も物も国境を自由に超えるTPPは国家よりも国際的な自由都市だけに適用すべきと考える。

そうすれば、国内でTPPに反対する農民等の反対勢力も伝統社会で生きることができる。

文化人類学でいうパシシル文化の世界を環太平洋地域に拡大して再現できる。


(パシシル文化)
http://rinoaguri.rakurakuhp.net/i_783252.htm
パシシル文化とはアメリカの人類学者ヒルドレッド・ギアツによってモデル化された沿海文化のことである。 マレーシアからインドネシア沿海を中心とした東南アジア沿海部では、民族や言語は異なるが、均質な沿海文化が広がる。しかし、内陸では伝統的な民族文化が存在した。
同じ民族でありながら内陸地域と沿海地域では文化が異なることが多い。

中世後期に、バルト海沿岸地域の都市を交易してまわる商人組合、商人ハンザが都市ハンザに発展した。そして、その都市ハンザの同盟が、貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配するハンザ同盟になった。 ハンザ同盟が、自由貿易を望む商人がギルド(組合)を形成し、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結されたカルマル同盟とバルト海の覇権を争ったのである。
TPPはハンザ同盟というよりカルマル同盟に近いのではないだろうか?

今後、東アジアの都市を中心として、アジア・環太平洋沿海の都市が、企業活動を円滑に行うために連携することが考えられる。
企業の利害は国家の利害と異なる。
企業の利益を守るために都市の提携は進化すると思う。
発展した都市の提携は環太平洋ハンザ同盟となり、企業の利益を守るために国家と対立することも将来はあると思う。

しかし、企業の提携、都市の提携が、戦争を防ぎ平和を守る。


参考にした自由都市の事例

(中世ヴェネツィアの外国船員)
篠原 陽一 海上交易の世界と歴史

http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/index.html

によれば中世ヴェネツィア商船の乗組員はヴェネツィア人だけでは不足していた。
ヴェネツィア東海岸のダルマツィアのほとんどの都市がヴェネツィアに保護を求める見返りとしてヴェネツィアが船員を調達することを認めている。
ヴェネツィアは、その肥大化した海上勢力に不可欠な船員をその影響下においたイストリア半島(木材や石材の産出地でもある)やダルマツィア海岸、ギリシアの島々から調達するようになる。

(住民自治、免税で栄えるオーランド自治領)
オーランド諸島はフィンランドの自治領の島々である。
フィンランドの自治領ではあるが住民はスウェーデン系でスウェーデン語を話す。
19世紀初めのナポレオン戦争の結果フィンランドとオーランドがスウェーデンからロシア帝国に割譲されたのがフィンランド領オーランドのはじまりである。
第一次世界大戦後、オーランドはフィンランドからの分離しスウェーデンへの統合を求めた。
このためスウェーデンとフィンランドの緊張が高まった。
オーランド問題は国際連盟の裁定に委ねられることになった。
当時、国際連盟の事務次官であった新渡戸稲造はオーランドのフィンランドへの帰属を認めた。しかし、フィンランドの軍隊の駐留は認めない等の自治権の強化を求めた。
日本人の好きな「大岡裁き」であるが当時、スウェーデンへの復帰を熱望するオーランド島民にとって「新渡戸裁定」は評判が良くなかった。
近年、オーランドのスウェーデン復帰はフィンランド政府によっても認められた。
スウェーデンにとってオーランドの復帰は悲願である。国をあげてよろこんだ。
日本でいえば北方領土か沖縄の返還のようなものである。
ところが、帰属国を問う住民投票では現状を望む人が半数を越えた。このため今までどおりオーランドはフィンランドの自治領である。
スウェーデンにしてみれば沖縄が日本への復帰を拒否してアメリカの占領下の方がいいといっているようなものである。
生き別れた子供に見捨てられた悲惨な親に似ている。
スウェーデンにとって、このような展開は予想外であり落胆は大きかったと思う。
しかし、オーランドはスウェーデンに復帰すれば一つの県にすぎないがフィンランドのもとでは大幅な住民自治を認められ海洋地域にあるオーランドは自由が利く。
オーランドはスウェーデンに属さずフィンランドの自治領になったことにより地域は活性化し経済は豊かになった。
オーランド諸島の人口は約27000人であるが自治政府は独自の法律の施行し州行政サービスを行うことができる。
自治政府の下には16のコミューンがあるがコミューンの税制度は自治政府が決定している。
オーランドはバルト海の交通の要所でもあり、海運が主要産業である。
そのため海運業に付帯する特権が認められている。
また、付加価値税(日本の消費税にあたるが日本に比べEUでは15%から25%と高率である)がオーランドには特例が認められ免税になっている。
酒等にも免税が認められている。
北欧は酒税が高いため観光客が増えるなど利益は大きい。
経済が好調なため島に移住する人も増えている。
参考:フリー百科事典『ウィキペディア  (Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/ オーランド諸島


(福祉都市国家ドブロブニク)
ドブロブニクは14世紀から16世紀に地中海都市、近東との海運貿易で繁栄した共和国である。
アドリア海では古代から地中海交易が盛んに行われた。
ドブロブニクはバルカン半島、クロアチアの南にある。
アドリア海沿岸、イタリアの対岸である。
ドブロブニクはイタリアの都市国家諸国との海洋貿易によって繁栄した。
ドブロブニクではイタリア系とスラブ系の住民が共存していた。
イタリア系とスラブ系の住民が共にドブロブニの繁栄を支えていた。
地中海地域の海運中継基地となっていた。
排水設備、公衆衛生施設(薬局、検疫所等)が、整備されていた。
ドブロブニクは15世紀に奴隷制を廃止した。
孤児院を開設した。
上下水道を整備した。
ドブロクニクでは税金で散髪、高齢者医療を無料にし教会、養老院で散髪や診察をしていた。
地中海最強といわれた艦隊を持ち独立、中立を守っていた。
けれども、ドブロクニクはアドリア海交易の不振と1667年の大地震により、衰退した。
そして、1805年にナポレオンによりドブロブニクは解体され、共和制は廃止された。
ナポレオンの没落後、オーストリア帝国領ダルマチアの一部となったが、第一次世界大戦後、ユーゴスラビア領となった。
人口 は43,770人と小都市ではあるが、今でも、ドブロブニクは観光地として人気がある。
1667年の大地震、1991年のユーゴスラビア内戦により街は破壊された。しかし、市民は街の再建に取り組み、すべてを元通りに修復・復元した。
ドブロブニクの街はその美しさを取り戻した。今も 「アドリア海の真珠」と称えられる美しい町並みを誇る。
1979年に世界遺産に登録された。
英国の劇作家バーナードショウが「ドブロブニクを見ずして天国を語ることなかれ」と述べている。
市街に入る門には「自由はお金では購えない」と書かれている。
ドブロブニクの「自由と自治」の精神は今なを守られている。

参考

   :世界の都市国家 青山貞一

http://eritokyo.jp/independent/worldcitystate1_dubrovnik1.html

   :世界遺産ライブラリー NHK

http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards007.html

 :フリー百科事典『ウィキペディア  (Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/ドゥブロヴニク

ハンザと類似した東南アジアの交易ネットワーク

http://rinoaguri.rakurakuhp.net/i_783252.htm